負けた試合のあとって、どうしてあの時はあんなプレーしたんだろう?とか、どうして、プレーの前に確認しなかったんだろう?とか、たくさんの「どうして?」を考えます。
負けた時こそ、それがおもむろに敗因になるので課題が見えます。だから負けた試合こそ勉強になるのも納得できる。
問題は勝った時です。
ミスがあるのに不思議と勝ちにつながる試合というのも、何度と経験してきました。
勝った時というのは、持てる力を全て出し切り、これぞ勝利という勝ちがあるのに対し、ミスをして何で勝ったのかわからないということもしばしあるものです。
力で勝った時はいいとして、何で勝ったのかわからないという時が危ないものです。
ミスを検証しないから。
って、ボクは野球に例えるとけっこう色んななことが見えてきます。
決断は自分の判断
人生、ボクでいえばこれまで37年生きてきました。
37年という数字を見ればたいそう長く感じるけど、その瞬間瞬間のことを考えればあっという間に37年経ったという感じです。
毎年、毎月、毎日、その瞬間で何かしらの決断を自分で下し、よかったこともあれば、よくなかったことも当然あります。
人の勧めや、これまでの自分の経験で判断し、なんだかんだ最終的な判断は全てが自分で行なって来たもの。
その判断が合っているのか、間違っているのかなんてことは、やってみなければわからないことなので、実際にやってみなければ何にもわからないものです。
自分の判断で大きく道がそれることを考えれば、ちゅうちょしてしまうことも当然ある。けれど、やってみなければわからないことはやってしまうことでしかわからないもの。
仕事でいえば、材料を発注する時に頼むお店やメーカーさん。
あそこの商品を使ってみたいけどどうなんだろ?
今使っているものでも十分いいけど、もっといいものを作りたいからあっちの会社さんのを使ってみたい。
もしかしたら失敗するかもしれないけど、よりいいものにしようとしてのチャレンジは、実際に試してみないとわかりませんよね。
あの人がいいというから変えたのに・・・なんて思っても人の感覚なんてものは全く違うから、人のせいにしちゃいけない。
あの人が良いと言っても、自分は良いと思わないかもしれない。
結局は自分の感覚で選んだんだから、決断は全て自分の判断によるものです。
困った時こそ頼られたい
人は困っている時こそ、誰かに頼りたいもの。
ボクも数日前にこのホームページが閲覧できなくなり困っていました。
ブログこそ、ようやく書けるようになってきたものの、パソコンやwebのことは大した知識があるわけではない。
そんな時に頼るのはやっぱり専門家ですよね。ホームページのことがわからないので、やっぱり専門家に聞きました。
ボクでは何もできないことが、すぐに原因を見つけて対処してくれた。
本当ありがたかったな。
ボクもこういう人になりたいものです。
それにしても、ホームページが見れなくなってしまった時は焦ったーーーーー。