宝くじは買った人にしか当たらないのと同じで、行動してみなければわからないこともあります。よし、やってみよう。

とっきー BLOG

 

嬉しい時には喜びたい。
腹の立つ時には怒りたい。
哀しい時には泣きたい。
楽しい時には楽しみたい。

 
誰しもが心の赴くまま過ごしたいと思うもの。ボクだってそう生きたいと思っています。ただ、それができる人ってそういないとも思います。会社でいえば経営者の立場であったり、スタッフであったり、家庭でいえば親として、子どもとして、チームであれば指導者と選手、そしてそれを支える身として。
実際のところ、みんな自分の心ってそんなに公にしていないのではないでしょうか?もし、表すことができていたとしたら、それだけで仕合わせなんじゃないかなと。
本当はボクだって自分の気持ちをそのまま伝えた方がいいということはわかっているし、そうなりたい。
だけど、これを出してしまうとあの人はどう思うだろう?今これを伝える時ではない。こう思ってしまうと、なかなか自分の気持ちに素直に従って行動することって難しくなってしまいます。なるべく伝える人の気持ちに沿うように伝えるようにしてはいますが、コレを伝えることによってマイナスに向くなら何も伝えないという選択肢もあります。
けれども、これを出すことに人間味が出てきて、個性が出せるともわかっている。そういう人たちが輝いていることもわかっているし、自分もそうなりたいとも思っている。
けれど、だけど、たら、れば、調子の悪い時ほどこの言葉を言ってはいないでしょうか。何かに対し、調子の悪いときに「たられば」という表現を多く口にしているってことに気づいたんです。しかも、調子の悪い時こそ「たられば」を使って何も行動しようとしないもの。
みなさんは、どうでしょうか?やった方がいいって思っても、失敗した時のことを考えたりしませんか?
・やっても意味あるんだろうか?
・やってもムダじゃない?
・本当にできるの?
って、ダメな時ほど否定的に考えてしまう。ダメだよね。閃いた時はすぐに行動しないとね。やってみないと結果は生まれないし、行動した人にしか見ることができない景色があるというのもわかっています。

 
自分自身がこう言われたらどうしよう、今はまだその時期じゃない、そもそもそんなことをやっている暇はあるのか、そして、それをやって本当に楽しいのか、・・・。
挙げたらキリがないほどマイナスの部分が出てくることもあるだろうけど、やる前にそんなことを考えてもしょうがない。
依頼してくれた人にとっては、藁をもすがる想いで依頼してくれたのかもしれない。依頼されるということはその力があると認めてくれたということで逆に光栄なことなのかもしれない。色んな「たられば」はもちろんあるし、もしかしたら役に立てないかもしれないけど、力を貸して欲しいって思ってくれた人のために精一杯力になりたい。この気持ちがあればいいのかもしれない。身につけた知識が誰かの役に立つのであればそれはそれで嬉しいものなのかもしれない。やっぱり行動してみることが重要なのかもね。

アナタが蓄えた知識、無駄に引き出しにしまっていませんか?調子の悪い時こそ、何か行動するチャンスなのかもしれませんね。
よし、やろう!